2011年4月7日木曜日

14日の避難と、その後の検証について。

それは、3月の14日の朝のことだった。

連れ合いをはじめ、娘や友人たちが「避難したい!」というので、仕事や諸事情があって同行することにものすごく抵抗があったものの、
「ノートPCがあればぎりぎりなんとか仕事できるかな」と、
激しい葛藤の中、しぶしぶ名古屋の友人宅へ向けて、車に大量の荷物を詰め込んで出発した。

その時は、「まいったなあああああ」と、仕事のことや、残してきた様々なもののことを考えて、原発への恐れより、地元の現実的問題を考えて暗澹とした思いだったが、
4月に入ってから、連れ合いたちが正しい危機感を持っていたことが証明されてきて、驚いている。

たとえば、NHK提供の各地の放射線量のグラフを見ると、14日、15日が最高に放射性物質の放出が多かったことがはっきり見て取れる。
他のデータを見ても、14、15日の放出量がMAXであったことが見て取れる。
大前研一氏の記事が参考になったが、炉心溶融がおき、圧力容器が損傷を受け、大量の放射性物質が放出されたのだろう、という見解が、素人である自分には今のところ「そうなのかな」という感じである。

14日の時点で、水素爆発を次々に起こしていた場面をテレビで見ても、
自分は東京を離れる程の危機感は感じなかった(というより、仕事やその他諸々を置いていく方が現実的に圧倒的に危機であった)し、他の一般の人も、ほぼ普通に生活を送っていたことが多いと思う。若干地震の影響が様々にあったとはいえ。

そしてその中で、「東京から避難」した人は、奇異な目で見られることもあったと思う。
が、大事を取って、危機への嗅覚に従い避難したことは、ある意味正しかったのだと、改めて時間が経ってみて思ったりもしている。

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今、
「正常が異常に見え、異常が正常に見える」ような状態が続いている。
異常事にここまで慣れてしまうことも、なかなか無いのではなかろうか。

「あ、爆発したね。でも、また水素爆発ね。水素爆発は大丈夫なんだよね。核爆発じゃないみたいだし。」なんて、実に恐ろしい「平常心」だ。

そしてこれからも、超長期間、恒常的に大気や海水に放射能が様々な量と濃度で流出し続ける、というジワジワと脅かされる日常が続いていく。

なんという時代か!と思う。

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福島の原発周辺から、政府が言うよりもっともっと広範囲に、
赤ちゃん、子供や若者、妊婦さんや若い女性から優先的に、避難地域を拡大して行った方が良いと、どうしても思う。
不用意に恐れを煽るのもイマイチかもしれないし、実際、避難生活は様々に疲弊しやすい。
が、それでも線量の高い地はそうしてほしい。特に飯館など。

例えば、ドイツでの「原発周辺での子供のガン」という調査では、事故も起こしていない状態の原発に関する調査で、
原発周辺の子供のガンの発生率が有意に高いことは明確であった。
詳しくは以下に。
この調査では原発推進派の人々も参加し、その結果を受け止めている、ということが、ドイツらしいと感じた。

これまでの日本では、このようなことが正式に行われたことはなさそうだ。
民間では、鈴木耕氏がかつて、原発周辺の「悪性リンパ腫」の発生率を独自に調査されたことがあったようだが、抗議こそ来ても、それに対するデータを示した電力会社側からの反論はついぞなかったそうだ。
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結局その後、自分は一人で東京に先に戻ったが、
正常な判断が実に難しい、臭いも色も無い放射能(放射性物質)、という困った代物と付き合わなくてはならない、という異常事態の中で、
あまりにもこの事態に怒り、憂慮し、哀しみ、慟哭している福島出身の連れ合いとの今後の生活を思うと、
いったいどうやって生きて行くのが良いのか、正直まだ途方に暮れている自分がいる。

間違いなく、元の生活の維持、というだけでは済まない状態であることだけは確かだ。

原発安全神話の崩壊した311を経て、これからどうしていくかが、様々なレベルで問われ続けている。

2011年3月31日木曜日

「泣くこと」について

「泣いても始まらない」と、よく言われて育ちました。
泣くことは、この社会ではそれほど価値が置かれていません。

が、誰か大切な人(命)を亡くしたとき、悲嘆にくれ、その哀しみを人と共有するプロセスを持つと、その後にうつになる割合が低くなる、とどこかで読んだことがあります。

私は子供たちと付き合う仕事を多くしてきましたが、
子供たちは大泣きすることで、その後驚く程の元気を回復する様を見せてくれます。
大人である我々は、その回復する力を社会生活の中で押さえることを覚え、封印してしまいました。

最近、あまりに疲労困憊することが多く、仕事も手につかないので、今朝、試しにタオルを持って泣いてみました。
すると、後から後から涙がこみ上げてきて、止まりませんでした。
3月11日からこの間、誰もがあり得ない現実を前に、大変なショックを受けて生きてきたと思います。
どんな人も、本当に心の底に強いショックを受けていると思います。
津波の様子を見ただけでも、原発の水素爆発シーンを見ただけでも、大変なショックを受けて当然です。
そして、様々な現実に対応する必要に迫られ、ストレスは程度の大小あれ、ほとんどの人が受けたはずです。

泣けば全てが解決するとはまるで思えませんが、
人間の生体に組み込まれた「泣く」という機能は、このようなときのためにあるのでしょう。
少なくとも自分は、今朝大泣きしたことによって、幾分精神の安定度が回復し、仕事により手がつくようになりました。

さて、日本の男性は、女性よりも自殺率が高めです。
それは、弱さを見せたり、涙を見せることに対する抑制や不文律の制約があることも、一因ではないかと常々思っています。

大人も、男も、泣いていい。
そんなことを思います。

心を無理に奮い立たせるだけでなく、
悲嘆にくれながらでも、進んでいって良いのだと思います。

311から3週間ほど経て。

この度の地震と津波でお亡くなりになられた方々のご冥福を、心よりお祈りいたします。
また、被災者の皆様の生活の安定回復を心より願っております。

3月11日からのこの3週間、怒濤のように日々が過ぎていきました。
私事ですが、我が連れ合いは福島出身の福島育ちです。
親戚、友人、知人が、福島県内にたくさんおります。
その中のいくらかの人は、東京や山形などに避難中です。
今、原発の状態がまだ不安定で予断が許さぬ中、非常にじりじりとした思いで日々生きております。

骨が弱いという障害を持ち、幼少期に大量のレントゲンを浴びてきた連れ合いは、
強度の電磁波アレルギーであったりし、また、原発事故をこれまでずっと恐れて、脱原発を叫んで生きてきました。

今回、本当に、よりによって故郷福島の原発が大事故を起こし、
未だ収束のめどが立たない、という事態の中で、
彼女も精神的にあり得ない程のショックとダメージを受け、
現在、PTSDといえるような状態かと思います。

福島の家族や、子供たちを思い、心配と心痛が止まぬ彼女の叫びを受け止める日々に、自分もかなり疲労困憊しました。

福島第一原発の状態が安定しないことには、本当に彼女が安心することは難しいと思われ、
また、冷却が安定しても、これから長期間、冷却や廃炉に時間を要する中、放射能漏れも一定程度は恐らく続く状況下では、
彼女の精神状態を考えると、
このまま東京に住み続けるのが困難であるぐらいの状況であると受け止めています。
それがたとえ「人体に直ちに影響はない」という微量な放射能量であっても、
今はかなり難しい感じです。

時の経過の中で、原発の状態がましになり、彼女の精神も落ち着きを取り戻せるならば違うかもしれませんが、現状、先行きが非常に不透明です。


しかし一方で、東京の我が家では、福島から親戚が滞在したり、一時帰宅したり、という状況があります。福島からすれば、東京は避難先です。
不思議な共同生活が、流動的な中で続きます。


このところ、東京の街は既に平静さを一見取り戻し、普通に回り始めているかのようです。
「311」を経て、私たちはどこへ向かうのでしょうか。
一時的に節電をし、また再び元のような暮らしに帰っていくことを指向するのでしょうか。
根本的に、我々の暮らしや生き方、社会のあり方、人間関係のありようを見直す時がまさに来たと、震撼するような思いの中で生きています。
多くの人が同じような思いの中でいらっしゃるのではないでしょうか。
これからが、きっとスタートです。本当の人生と、社会の。

今はひたすらに、第一原発の沈静化を祈り続けています。
祈りにならぬ祈りで、魂の切願として。

原発に依存せず、このような脅威のないエネルギー体制への移行を強く強く願います。
そのことに、これから本腰を入れていきたいと思います。