連れ合いをはじめ、娘や友人たちが「避難したい!」というので、仕事や諸事情があって同行することにものすごく抵抗があったものの、
「ノートPCがあればぎりぎりなんとか仕事できるかな」と、
激しい葛藤の中、しぶしぶ名古屋の友人宅へ向けて、車に大量の荷物を詰め込んで出発した。
その時は、「まいったなあああああ」と、仕事のことや、残してきた様々なもののことを考えて、原発への恐れより、地元の現実的問題を考えて暗澹とした思いだったが、
4月に入ってから、連れ合いたちが正しい危機感を持っていたことが証明されてきて、驚いている。
たとえば、NHK提供の各地の放射線量のグラフを見ると、14日、15日が最高に放射性物質の放出が多かったことがはっきり見て取れる。
他のデータを見ても、14、15日の放出量がMAXであったことが見て取れる。
大前研一氏の記事が参考になったが、炉心溶融がおき、圧力容器が損傷を受け、大量の放射性物質が放出されたのだろう、という見解が、素人である自分には今のところ「そうなのかな」という感じである。
14日の時点で、水素爆発を次々に起こしていた場面をテレビで見ても、
自分は東京を離れる程の危機感は感じなかった(というより、仕事やその他諸々を置いていく方が現実的に圧倒的に危機であった)し、他の一般の人も、ほぼ普通に生活を送っていたことが多いと思う。若干地震の影響が様々にあったとはいえ。
そしてその中で、「東京から避難」した人は、奇異な目で見られることもあったと思う。
が、大事を取って、危機への嗅覚に従い避難したことは、ある意味正しかったのだと、改めて時間が経ってみて思ったりもしている。
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今、
「正常が異常に見え、異常が正常に見える」ような状態が続いている。
異常事にここまで慣れてしまうことも、なかなか無いのではなかろうか。
「あ、爆発したね。でも、また水素爆発ね。水素爆発は大丈夫なんだよね。核爆発じゃないみたいだし。」なんて、実に恐ろしい「平常心」だ。
そしてこれからも、超長期間、恒常的に大気や海水に放射能が様々な量と濃度で流出し続ける、というジワジワと脅かされる日常が続いていく。
なんという時代か!と思う。
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福島の原発周辺から、政府が言うよりもっともっと広範囲に、
赤ちゃん、子供や若者、妊婦さんや若い女性から優先的に、避難地域を拡大して行った方が良いと、どうしても思う。
不用意に恐れを煽るのもイマイチかもしれないし、実際、避難生活は様々に疲弊しやすい。
が、それでも線量の高い地はそうしてほしい。特に飯館など。
例えば、ドイツでの「原発周辺での子供のガン」という調査では、事故も起こしていない状態の原発に関する調査で、
原発周辺の子供のガンの発生率が有意に高いことは明確であった。
詳しくは以下に。
この調査では原発推進派の人々も参加し、その結果を受け止めている、ということが、ドイツらしいと感じた。
これまでの日本では、このようなことが正式に行われたことはなさそうだ。
民間では、鈴木耕氏がかつて、原発周辺の「悪性リンパ腫」の発生率を独自に調査されたことがあったようだが、抗議こそ来ても、それに対するデータを示した電力会社側からの反論はついぞなかったそうだ。
民間では、鈴木耕氏がかつて、原発周辺の「悪性リンパ腫」の発生率を独自に調査されたことがあったようだが、抗議こそ来ても、それに対するデータを示した電力会社側からの反論はついぞなかったそうだ。
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結局その後、自分は一人で東京に先に戻ったが、
正常な判断が実に難しい、臭いも色も無い放射能(放射性物質)、という困った代物と付き合わなくてはならない、という異常事態の中で、
あまりにもこの事態に怒り、憂慮し、哀しみ、慟哭している福島出身の連れ合いとの今後の生活を思うと、
いったいどうやって生きて行くのが良いのか、正直まだ途方に暮れている自分がいる。
間違いなく、元の生活の維持、というだけでは済まない状態であることだけは確かだ。
原発安全神話の崩壊した311を経て、これからどうしていくかが、様々なレベルで問われ続けている。