必要な方向性だと思う。
「ワークライフバランス」(WLB)は、この国で、必死で取り組むべき課題と思う。
現在、日本での男性の育児休暇取得率は、1%に満たない。
これは、男性個々人の努力不足だとだけ還元できるだろうか。
(かつて、歌手のアムロさんの当時の夫さんが起用された「育児をしない男を父とは呼ばない」という厚生省(当時)のポスターが賛否両論、話題になり、「(育児のため)休みたくても休みが取れる状況じゃない」ことを悲鳴のように訴える男性がけっこうおられたことを思い出す。)
最近の意識調査でも「仕事より家庭を大事にしたい」という男性は多いことが、
同じ内閣府サイト「仕事と生活の調和推進ホームページ」内にある。(「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)に関する意識調査」参照。PDFファイル。)
男性で、「仕事優先」を希望する人は3.2%、「家庭生活優先」を希望する人は18.7%であるのに対し、
現実は、「仕事優先」になっている人が実に62.2%(ほぼ20倍)、「家庭生活優先」の人が8.5%(半分以下)となっている。
「個々人が望んでそうなっている」というより、
相変わらず「しょうがなくそうなっている」という現状が、このデータからもはっきりうかがえる。
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「男性の育児時間取得」のテーマに関して、「育時連」という団体が、長く活動しておられる。この会に自分は、かねてより敬意を覚えている。(以下、育時連サイト内「育時連とは?」より引用)
「育児休業法」(1992年)が施行されて以来、『男も家事・育児を』というスローガンが、さほど奇抜ではなくなったのは嬉しいかぎりです。しかし、手放しで喜んでも居られません。専業主婦の居る家庭でも、共働きの家庭でも日本での男性の家事時間はごく僅か。会社の仕事時間を削ってでも家事・育児の時間を作ろうといういくじれんの男性達はまだまだ珍獣奇獣扱いから解放されてはいません。ずいぶん前に育時連の方の講演を聞いた時、「かつて育児休業を取る男は、パンダのように珍しかった。少し経って、コアラぐらいな感じになった。だんだんカンガルー程度になっていくといい。そしていつか、ゴキブリのように世の中に増えるといい」といったようなことを語っておられたのが、印象に残った。
「いくじれんって子育ての研究をする所ですか?」と聞かれることがよくありますが、すこし違います。「育児連」ではなくて「育時連」になってますでしょ?そもそもは「男も女も育児時間を認めて」と会社に要求していこうという趣旨で発足した組織で『男も女も育児時間を!連絡会』が正式な名称です。育児する時間をどうやって作るのか、会社での仕事とどう時間をシェアするのか、男とか女とかに限定しないでそれぞれの親が育児にかかわる時間をどうやって確保するのかを考えていく場所です。(育時連ホームページより)
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かつて我が家を取材にきた新聞記者の方が面白い体験談を聞かせてくださった。
彼は「男の育児休暇」に関する取材をして、「よし自分も(育児休業を)とろう」と決意し、取材の流れから上司を説得し、それを連れ合いさんに告げると、
お連れ合いさんは、すぐさまいそいそと歯医者に行かれたそう。
そして育児休業を取り無事第二子を授かったとか。
夫の育児協力を切に望んでいる妻がとても多いものだが、このご夫婦のケースにも実に分かりやすくそれがうかがえる。
国会議員の中での女性数比率は、日本は世界189カ国中131番目(出所:内閣府「男女共同参画白書H19年版」)だという。
そのような状況の中、なかなかこの問題は真剣に効果的に取り組まれていないと言わざるを得ない。
しかし、生活レベルで多くの人にとって、このテーマは非常に切実である。
最近、大事な友人(女性)に双子が生まれ、その一方の子には障害があった。都会の中での子育ては孤独だ。双子で障害もあれば、よっぽど助けの手が日常的に必要だ。しかし、彼女の彼は育児休暇どころか、仕事に忙殺される日々が続いているという。彼の名誉のために言うが、彼は非常に心の優しいいい人である。もちろん子どもも愛している。まさに「3.2%」の中の人が「62.2%」の枠に入れられてしまっているケースだ。
他人事ながら、「なんとかならないのだろうか」と思ってしまう自分がいる。
そこで、このテーマが自分に改めて迫ってきた。
そんなわけで、最近、こんなことをいろいろ調べていたことを、ここに書いてみた。
なにはともあれ、乳児期の子供は、非常にかわいい反面、大変手がかかる。
母ひとりの子育ては、厳しい。(夫の面倒が負担になるともっと厳しい、という声もあるが。。。)
父も普通に乳児期のわが子に寄り添えることが、当たり前になる社会を切に望みたい。
(またさらに言えば、親以外の人間も、子どもの育ちに豊かに関われることが当たり前な状況も求めたい。)
そのために、自分ができることを少しずつでも始めねば、と心新たな日々です。







